2013年1月25日金曜日

第3回「江戸まち歩き」~三崎稲荷神社、太田姫稲荷神社、ニコライ堂、神田明神編~



1月20日(日)に、第3回江戸まち歩きを開催いたしました。
今回は、千代田区三崎町から神田駿河台、御茶ノ水にかけてのご利益スポットをめぐるコースです。

おおまかなコースは、
三崎稲荷神社→講武所跡→太田姫稲荷神社→ニコライ堂→聖橋→神田明神(ゴール)
です。

まずは、グリル&バー「流(りゅう)」でランチを食べた後に、庭のホテルの氏神様でもある三崎稲荷神社に向かいました。



三崎稲荷神社はこのブログにも度々登場しています。
江戸時代、三代将軍徳川家光のすすめで、大名が参勤交代で江戸を離れる際にお参りし、道中の無事を祈ったことから、旅の神様として親しまれるようになりました。
また、江戸に入る際もお参りし、心身を清めたため、清めの神様とも言われるようになりました。

皆さん、ガイドの立山さんより三崎稲荷神社の謂われを聞き、お参りされていました。



幕末、現在の三崎町2丁目辺りは、江戸幕府により講武所(武芸訓練所)が置かれ、明治には陸軍練兵所となりました。

その後、この土地は三菱に払い下げられ、三崎町は市街地としての開発が始まりました。
その代表が「三崎三座」と呼ばれた劇場で、東京座、三崎座、川上座は、東京の演劇界の中心の1つでした。
今は、学生街に説明の看板が残るだけですが、当時は華やかな雰囲気だったことでしょう。



講武所跡の看板も日本大学法学部の敷地にあります。



神保町愛全公園には、「周恩来ここに学ぶ」という記念碑が建っています。(実際にいた学校は、ここより少し離れていたそうですが…)

今でも学生街として賑わう神保町ですが、明治後期から大正にかけて、中国からの留学生が大変多かったそうです。


愛全公園の道路を挟んで向かいに、愛全地蔵があります。
立山さんがおっしゃるには、神田に3つだけあるお地蔵さまの1つだそうです。

周りはビルで囲まれていますが、地元の方々がしっかりとお守りしているそうです。



奥野カルタ店(大正10年創業の室内ゲーム専門店)や豊島屋本店(慶長元年創業の造り酒屋)を経由して、「神田小川町雪まつりフェア」を見ながら太田姫稲荷神社に向かいます。



太田姫稲荷神社は、室町時代の武将で江戸城を築城した太田道灌の娘に由来する神社です。

太田道灌の娘が疱瘡(天然痘)にかかり、京都の一口(いもあらい)稲荷神社に回復を祈願したところ、病気が治癒。道灌はこれに感謝し、一口稲荷神社を勧請したのがこの神社と言われています。


病気治癒の他にも、穢れや災いを清める神社でもあるそうです。
ちなみに、提灯に見える神紋は太田家の「太田桔梗」です。



太田姫神社から坂を登るとニコライ堂が見えてきます。正式名称は「東京復活大聖堂」。



お邪魔したこの日は、ちょうど大聖水式だったようで、たくさんの方が礼拝に来ていました。



ニコライ堂から聖橋を目指しますが、橋の袂に先程の太田姫稲荷神社の御神木が立っています。
昭和のはじめ、総武線開通工事のために、神社は今の場所に移されましたが、御神木だけは元の場所(JR御茶ノ水駅の脇)にあります。



聖橋を通って、湯島聖堂に少し立ち寄りました。こちらは第6回の「江戸まち歩き」で詳しく散策予定です。


ゴールの神田明神の前に、お隣の神田の家に立ち寄りました。

「神田の家」は、江戸時代より材木商を営んできた旧遠藤家が、関東大震災後の昭和2年に建てた、店舗兼住宅を移築したもの。千代田区指定の有形文化財です。
毎月8の付く日に内覧もされています(要申し込み)。



神田明神です。
江戸総鎮守として、歴代将軍だけでなく、広く庶民にも親しまれてきました。



第3回の「江戸まち歩き」は、こちらでゴールとなりました。



今回は、風が強く寒かったものの、晴天に恵まれ、楽しいひとときを過ごしました。
ご参加いただいた皆様、寒い中でしたが、ありがとうございました。

次回の「江戸まち歩き」は、3月17日(日)に開催予定です。
ガイド、立山西平さんの生まれ育った神田多町をはじめ、江戸古町と呼ばれる地域を散策します。

詳細はこちらからどうぞ↓

歴史探索ツアー 「江戸まち歩き」 其の二
(4月7日開催の第5回のみ、定員に達しております。ご了承ください。)

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